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リトルは昨10月から今3月まで半年間にわたって、第二次世界戦中の多摩地区における空爆についてTAMA市民塾で教わっています。講師の先生方は「多摩地区の空襲犠牲者を調査・確認する会」のメンバーで、いままでの調査結果をわかりやすく教えてくれます。
多摩地区には中島飛行機武蔵製作所や立川飛行機、日立航空機立川発動機製作所、陸軍航空工廠があり、これらを対象にした空襲がたくさんありました。
こういった空襲を避けるために、陸軍倉庫として八王子市の浅川地区(高尾霊園のぼりくち付近)に壕が作られました。それを知った中島飛行機武蔵製作所が、工場用にと軍から買い取り疎開したようです。
ここを掘ったのは佐藤工業と大蔵土木で、朝鮮人労働者も大勢いましたが比較的良い環境で行われたようです。
日本中には、もっと劣悪な環境で掘削工事をさせた壕もあるので、そういう意味では悲惨さをあまり感じさせない所でした。
それでも、戦争時代の姿を残す生々しい場所でした。
見学者の向こう、サザンカの植えてある奥が、壕の入口。とてもさりげない場所です。
昔はそのままむき出しでしたが、所有者のお寺でこのようにカバーしたようです。
近づくと柵があり、入るときは鍵で扉を開けます。
この壕は東大地震研の観測点になっています。
灯りの最後のところに設置されているのが地震観測器(台の上に乗っている小さな物)。
とても小さな機械ですが、私たち見学者の振動もシッカリ伝わっているので
あまりたびたびは行けません。希望者はひと月に1回くらいグループで見学会できます。
壕の中はけっこう広くて、幅4m高さ2mくらいあります(入口付近はせまい)。
灯りが点々とついているのは、地震の計測器まで行くためのものです。
四角い枠は崩壊防止のための鉄骨支柱で、計測器と関係ない通路にはありません。
腕を上げて説明しているのが講師の先生。塾生は借りたヘルメットをかぶって
ゆっくりと進みながら見学します。
実はこの壕には、少し前までダイナマイトが積まれたままになっていて、
いそいで運び出したそうです。その木箱だった木片が今も残っていました。
よく見ると「桐ダイナマイト」の文字が読めます。
壕を掘るための穴の跡が残っていました。
この穴にダイナマイトを詰めて爆破し、その岩石(ズリ)を外に運び出すそうです。
この辺りには3ブロックの壕があり、その一部は地上の団地と数mも差がなく、
埋没防止のために埋め戻し工事が行われています。 (リトル)