●朝日新聞(全国版朝刊)「二都物語」に掲載した御柱祭の記事(98.1.15)

この記事はすでに新聞に掲載したものですが、御柱祭のシーズンになったのでホームページでも紹介します。 【御柱祭速報はこちら】

♪ 山のー 神さまー お願いだー
甲高い木やりの声で、その巨木はギシギシと動き出す。

 御柱祭(おんばしら)は、約1200年前から諏訪地方に伝わるお祭だ。日本中にある諏訪神社の総本山「諏訪大社」で、寅と申の年に行われる“七年に一度の大祭”。

 私は申年生まれ。来年で6回目の御柱祭を経験する。諏訪の人は、御柱祭で歴史をひとつの区ぎりと数えることがある。「ひと御柱祭」「ふた御柱祭」というのだ。

 御柱祭に初めて行ったのは6歳のとき。茅野にある父の工場で遊んでいた私は、近所の通りへ連れていかれた。狭い道いっぱいに人が集まり、にぎやかなラッパの音やカラフルなおんべに合わせて、御柱が曳航されてきた。上社本宮(諏訪市)と前宮(茅野市)の御柱合計8本は、八ケ岳から切り出され“御柱街道”を通って、“木落とし”と“川越え”を経てそれぞれの社をめざす。

 次の記憶は12歳、中学1年生だった。私の住んでいる諏訪市清水地区の氏子は、下社春宮・秋宮(下諏訪町)の柱を曳く。なんといってもクライマックスは、最大斜度40度100メートルもある木落とし坂。谷底めがけて巨木とともに、乗り手も転がり落ちてくるのだ。

 18歳の御柱祭は高校を卒業したばかり。新聞部時代からの友人宅が前宮の近所にあり、彼女の家の屋根から仲間たちと見物した。この仲間とは、今でも毎年集まり、私の大切な財産になっている。

 やがて諏訪地方のタウン誌の仕事を始めた私は、24歳の御柱祭を“取材”という立場で見た。祭に集まる人々の顔写真を撮り、勇ましくメドデコに登る男たちの話を聞いた。仕事を通じ、諏訪の歴史と文化を学んだ時代である。

 そして今年、私は30歳を迎える。結婚し諏訪の地を離れて、あらためて信州の美しさを感じているいま、諏訪を同じように愛し始めている夫と一緒にどんな御柱祭の風景に会えるだろう。
 このあと、私はいくつの“御柱祭”を過ごせるか。そのとき隣に、どんな人がいるかとても楽しみだ。


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