リトルの取材こぼればなし


私が取材で感じたことや原稿の一部を紹介します。

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●中学生対象webに掲載した記事「慰霊の日」沖縄の終戦はいつ?(99.6.23) 

 6月23日は、祝日でお休みです。といっても、それは沖縄県のお話。
「どうして沖縄では、6月23日が祝日なのか」 それは慰霊の日だからです。

 沖縄は本土と同じ大和民族でありながら、独自の文化を築き、琉球王国として明治時代まで王政を行っていました。江戸時代が終わり廃藩置県が行われるとき、琉球も沖縄県になりました。
 そして昭和20年(1945年)、沖縄にとってもっとも悲しい歴史である、太平洋戦争(第二次世界大戦)の地上戦が行われ、多くの住民が亡くなったのです。そのほとんどが日本軍兵ではなく、そこに住んでいた一般市民でした。君たちと同じ中学生も戦いに参加させられ、「ひめゆりの塔」に代表されるような悲劇が各地であったのです。
 敗戦後、沖縄は27年間アメリカの支配下におかれ、1972年にやっと本土復帰しました。しかし、沖縄には現在も多くの米軍基地があり、騒音などの被害に苦しみ、住民たちの土地がもどっていないことを紹介しました。

 こんな沖縄の歴史のなかで、6月23日は何があった日なのでしょうか。
一般的には「沖縄の戦争が終わった日」とされています。しかし、沖縄の戦いは6月23日以降も続いています。この日は、沖縄戦を指揮した第32軍司令部の牛島満(うしじま みつる)司令官と、長勇(ちょう いさむ)参謀長が自殺した日なのです。
 この自殺により、軍は解体し役目をなくしました。軍の命令により学徒動員されていた少年や少女たちも行く場をなくし、多くの人が自決しました(“自決”とは、日本軍の命令により住民が自殺させられること)。

 指揮者をなくした沖縄は6月23日以降も、ゲリラ的に戦闘をくりかえしていました。
 前・沖縄知事の大田昌秀(おおた まさひで)氏は、このころ摩文仁海岸の洞穴で身をひそめていたといいます。
 また、私が先々週『ひめゆりの塔』資料館を訪れたとき、生き残った女性から「9月まであちこちで戦いは続いた」と聞きました。
 司令官が亡くなっても沖縄戦が終わらなかったのは、沖縄戦が本土決戦までの時間かせぎだったといわれるほど日本軍が沖縄県民の命を大切にしなかったからなのです。

 結局、沖縄で戦争が終わったのでは9月7日でした。みなさんご存じのように、本土では8月15日に終戦をむかえ、『ポツダム宣言』という降伏文書に調印しました。
 しかし、沖縄では3週間以上たった9月7日に、嘉手納で米軍と降伏文書に調印しました。(降伏文書とは、日本の敗戦を認めるものであり、沖縄の敗戦を認めるもの)。ちなみに沖縄市では、この9月7日を「平和の日」に定めています。

 こうして考えると、6月23日は「沖縄戦の悲劇を忘れない日」として、亡くなった多くの人のめい福を祈り、平和を誓う日だといえます。
 この日沖縄では、多くの住民が亡くなった摩文仁の丘(現在の平和祈念公園)で戦没者追悼式を行います。
 みなさんも、8月15日の終戦記念日と同じように、6月23日の「沖縄戦慰霊の日」を忘れないようにしましょう。

(写真は先々週沖縄を旅したときに撮影したものです。リトル)


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