リトルの取材こぼればなし


私が取材で感じたことや原稿の一部を紹介します。

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●中学生対象webに掲載した記事の一部「年末の風物詩『第九』」(00.12.20) 

 日本では年末になると『第九』(ベートーベン交響曲第九番「合唱付」)が、あちこちで演奏されます。しかし、『第九』そのものは年越しとは関係なく、ウィーン初演も日本人初演も12月ではありません。ではいったいなぜ、『第九』が年末に演奏されるようになったのでしょうか。

 日本で12月に『第九』が演奏されたのは、昭和18年(1943)の学徒出陣壮行会でした。入隊間近の12月初旬、学生たちのくりあげ卒業式の音楽会で、東京音楽大学は『第九』の第4楽章を演奏したそうです。
 やがて戦争が終わり、戦場へ行った多くの学生が戦死しました。生きて帰ってきた者たちは「お別れのときに演奏した『第九』をもう一度演奏しよう」と言いだしました。つまり、“暮れの第九”のはじまりは、戦場で散った若き音楽学徒の魂をなぐさめる鎮魂歌(レクイエム)だったのです。
 また、日本各地で演奏会を行っていた新交響楽団(現在のNHK交響楽団)は、昭和2年(1927)から『第九』を何度も演奏していました。戦後、食糧不足などで生活が厳しかった楽員たちは、年越しの費用をかせぐために『第九』を演奏することが増えていきます。なぜなら、『第九』は曲として人気があるだけでなく、合唱団員が多く出演するためその家族や友人がチケットを買ってくれ、一定の収入がみこめるからです。
 このようにして“年末の第九”が、定着していきました。いまでは、プロやアマチュアなど、日本各地で「第九演奏会」が開かれています。

 ちなみに、日本人が最初に演奏したのは11月29日ですが、日本国内で初めて『第九』が演奏されたのは、同年の6月1日で徳島県の鳴門市でした。これについては、当時そこに収容されていたドイツ人とのさまざまなエピソードがあります。

(リトル)


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