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「キートス!」サーメ&ラップランド〜第八日目 2002年1月23日〜 |
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長い間滞在してきたサーリセルカも、いよいよ明日まで。この日はようやく人数が揃って催行されたサーメ人宅訪問へ。フィンランド人で英語も話す奥様からサーメの生活の説明を聞きました。ヨークの歌声にも感激。
リトルがラップランドで強く感心をよせたのが、この土地のネイチャーであるサーメ人の文化や歴史です。前回はサーメ博物館「シーダ」に行ったので、今回はぜひサーメ人宅訪問をしたいと思いオプショナルツアーに申し込んでいました。ところがなかなか人数が集まらず(ふだんはかなり人気の高いツアー)無理かな……と心配していたところにやっとOKの連絡。
サーリセルカの近くに住んでいるサーメ人一家のところへいき、まず庭でトナカイとふれあいました。
ちなみにトナカイはサーメの人たちの財産なのです。
やがて小屋に入り、サーメ人のご主人からサーメ語で生活や文化について話を聞きました。当然わたしたちはまったくサーメ語がわからないので、フィンランド人の奥さんが英語に訳してくれます。さらに不明点は現地ツアーガイドが日本語に。でもサーメ人のご主人の表情や仕草を見ていると、その気持ちが自然に伝わってくるような気がしました。
彼の話はとても興味深く、こういったネイチャーの人々が自分たちの文化を継承しつつ安定して暮らしていけるといいなと思いました(それはサーメに限らず、“自分たちの文化を侵されたくない”と思っているあらゆる民族にとって)。
カラフルな民族衣装を私たちに着せてくれたり、独特な歌声のヨークを聴かせてくれたり、サーメの文化に少しでもふれることができてうれしかったです。
さらにテント状のコタへ移動し、たき火を囲みながら手作りケーキやあたたかいベリージュースをいただきました。これで本当にサーリセルカで思い残すことはなくなったぞ。
画像はフィンランド人の奥さま。
そして最終日の晩。これが天気があまり良くないんですね。そこで少し仮眠をし、20時頃夕食をとりにピザ屋へと移動。
ところが突然、雲の晴れ間にオーロラが現れたのです。「きれいだなー」と見ていたらどんどん動きが激しくなって、とうとうカーテン状に舞いだしたのです。規模こそ中くらいでしたが、動きの速さや色の変化がとてもみごとでした。軽装でふるえながら立ち止まって見とれていると、かすかにピンクに色づき現れては消えていきました。こんな日は一定のタイミングで何度かオーロラが出現するので期待ができるぞ、と急いで食事。
コタへ移動したのは22時頃。今夜も札幌のご夫婦といっしょにオーロラを待ちました。実は彼らも1年前にここへきて、悪天のためオーロラが見られなかったと言うのです。そんなわけで私たち4人は「今年はぬかりなく観測するぞ!」と気合いが入っていたのでした。
23時頃、北の空の雲間に緑色の光芒の気配を見つけたので、ご一緒したご夫婦にも声をかけて小屋の外に。すると突然天頂に一筋の光が入ったかと思うと、激しく動くオーロラが出現。わずか数分間の動きに、なすすべなくボーゼンと見入ってしまいました。
夜半過ぎ、新顔のおじさん3人組がやってきました。彼らは3泊5日の最短ツアーでサーリセルカに着いたばかり。さきほどのオーロラを、ちょうどバスから降りたホテルの前で目撃したそうです。もっと見たかったが施設説明などのために室内に入らなくてはいけなかったとのこと。「これから今夜、またオーロラが現れるだろうか」と、期待半分、心配半々という顔をしていました。
画像は、今回たまたま使用しなかったレンズの試し撮りをした写真に、実はかろうじて写っていた淡いオーロラ。
しかし、その後は雪が降り出したため3時過ぎで観測を終了しました。今回のサーリセルカでは6夜中5夜オーロラを見られて、さらにカナダで目撃できなかったΩ型など、いろいろなタイプのオーロラを観測できて大満足です。札幌の夫婦はあと2夜ここにいます。つまりおじさん3人といっしょですね。コタでの「奉行」(?)は彼らに渡して、またその次に来る人たちへと受け継がれていくことでしょう。
今回の旅では、夜間晴れている日が多かったので、コタに行ってたくさんの人と出会い、いっしょにオーロラを楽しめました。それもまた良い思い出です。
写真は、たくさんの人と親交を温めたコタ。中は薪ストーブがあって、自然に薪くべ係が受け継がれて(?)いきます。
ちなみにこのコタは「Nordic Japan」さん扱いのツアー(例えばフィンツアー)の人が利用できます。