●花火ってどんなふうに作られているの?(98.7.31)

 もうすぐ8月。夏は花火の季節ですね。あなたはもう、友達と花火をしたり、花火大会を見に行ったりしましたか。
 花火のはじまりは、古代ギリシャや中国で使用していた「のろし」です。のろしとは、遠くの場所へ戦争や急用を知らせるために、火をたいて煙をあげた合図です。今のような花火は火薬の発明以後で、1200年ころの中国からヨーロッパに広まりました。当時は軍事用の連絡に使われ、しだいに観賞用に変わっていきました。
 日本へ伝わったのは、1543年の鉄砲伝来のときです。ポルトガルのなんぱ船が種子島にたどり着いたとき、鉄砲といっしょに火薬が伝わりました。その後、しだいに日本独特の技術が発達し、江戸時代にはさかんに花火大会が行われました。この花火大会についての話は、次回紹介しますね。

 ひと口に“花火”といっても、いろいろなものがあります。大きく分けると、線香花火のような「おもちゃ花火」と、花火大会で見る大きな「打ち上げ花火」と、文字や絵を描く「仕かけ花火」の3種類です。その中でも、打ち上げ花火の玉は、ふだん私たちが間近で見ることができないのでどんなふうになっているのか、いっしょにみてみましょう。

 
 花火の玉を半分にわると、図のようになっています。
親導いう導火線の火が割薬に伝わり、玉皮をわります。すると星と呼ばれる玉が四方に広がり、花びらのようになります。さらに、仕かけの玉がいろいろな色に変化して、美しい花火になるのです。
 これを打ち上げるには、木くいに固定した筒に、打ち上げ用の火薬と花火玉をセットし、点火用の火だねを入れます。下の火薬に火がつくと玉が打ち上がり、上空で玉がわれて花火が飛び出すのです。最近の花火には、丸い形だけでなく「UFO」「ちょうちょう」「ひまわり」など、変わった形のものがありますね。これらは、毎年花火師さんたちが工夫して作りだした、新しい花火です。
 また、花火の玉を作ったり打ち上げたりする作業は危険がともない、たいへん熟練された技術が必要とされます。そんな花火師さんたちの苦労があって、はじめて私たちがきれいな花火を楽しむことができるのですね。

(中学生対象web原稿よりリトル)

●花火大会のかけ声「たまやー!」って何?

 江戸時代、鉄砲とともに日本に伝来した火薬は、江戸の町で花火としてもてはやされました。
 8代将軍 吉宗のとき、全国的なききんと病いで死者が多く出て、その“おはらい”や“死者の供養”として水神祭りを行い、隅田川で花火を打ち上げました。これが、江戸花火大会のはじまりです。
 当時の隅田川は「大川(おおかわ)」と呼ばれ、夕涼みの人が大勢きて、夜店がたくさん並びました。川面には客を乗せた舟も出て、食べ物を売る舟や花火舟がうろうろしていました。花火舟とは、客からの注文で花火を打ち上げる舟のことで、そのころ一番ハデでぜいたくな遊びでした。

 ところで、花火大会には「たまやー!」と、かけ声がかかりますね。これは、江戸時代の有名な花火師の屋号のことなのです。
 1659年、奈良県から来た弥兵衛が江戸で花火を作って売り出しました。これが大変な人気になり、花火遊びの行われる大川近くに「鍵屋」という店を開きました。弥兵衛は大型花火の研究をして、たくさんの打ち上げ花火を作りました。そんな「鍵屋」6代目の1810年、使用人の清吉が独立して、やはり大川の近くに「玉屋」という店を出しました。当時、鍵屋には おいなり様がまつってあり、手前にいるキツネの一方が鍵を、もう一方が宝の玉を持っていたことから、この名前になりました。
 ところが、玉屋は火事を出したため江戸を追放されてしまったのです。「火事とけんかは江戸の華」といわれるように、木造の家が建ち並ぶ江戸は火事が多く、おまけに一軒が火事になるとすぐに火の手が回って大火事になるおそれがありました。ですから、火災を出すことはたいへんな罪だったのです。
 しかし、玉屋の花火技術はとてもすぐれており人気が高く、追放されたあとも「たまやー!」とかけ声として残ったようです。

 今年も、こんなかけ声とともに全国各地で花火大会が行われます。
 私の生まれ育った長野県諏訪市では、毎年8月15日に「諏訪湖祭湖上大花火大会」が開かれます。今年でちょうど50回をむかえ、35,000発という日本一多くの花火があがります。次々にあがるスターマインやクジャク型の水上花火、2キロにもおよぶナイヤガラなど、いろいろな種類の花火が夏の夜空を飾ります。

 花火大会は、花火の色や形や音など、いろいろな楽しみ方がありますね。さぁ、あなたは今年、どこの花火大会に行きますか。

(中学生対象web原稿よりリトル)



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