●地震と震災 その1:地震のしくみ(99.9.21)

 9月1日は防災の日です。1923年(大正11年)9月1日、関東地方を大地震がおそいました。死者14万人をこえる大被害が出たこの地震は、関東大震災とよばれます。以後、この地震災害を教訓に、さまざまな災害に対して国民が認識を深めようと、1960年(昭和35年)に防災の日がさだめられました。この防災の日にちなんで、今週は地震について説明しましょう。

 日本は地震が非常にたくさん起こります。まず、そのしくみを考えてみましょう。
地球の表面は、固い地殻というものでおおわれてます。この地殻は世界中で、約10ほどのプレートと呼ばれる部分に分けられてます。
 地殻の下(内部)にはマントルという部分があります。マントルも固体ですが、地球内部の熱によってゆっくりと流動します。このマントルの流れの上にプレートが乗り、ほんの少しずつ移動しています。

 実は、日本は、このプレートが重なる部分に存在しているのです。大きくみると、大陸側のユーラシアプレートの下に、太平洋側の太平洋プレートがゆっくりともぐりこんでいるです。

 すると図のように、ユーラシアプレートが太平洋プレートにゆっくりと引きずりこまれていきます。このとき、ユーラシアプレートにはひずみができてしまいます。これに耐えられなくなるとプレートが元に戻ろうとして、大きな揺れを起こし、地震となります。これをプレート境界型地震といいます(海溝型などともいいます)。

 東日本で起こる、大きな地震のほとんどは、このタイプです。76年前に起こった「関東大震災」や、最近では1994年に起きた「三陸はるか沖地震」などもそうです。津波をともなうこともあり、非常に大きな規模の地震が起こることもあります。

 なお実際には、図のような4つのプレートが互いに重なりあっていると考えられてます。

 一方、このようなプレートどうしの作用によって、プレート自体にもひずみがたくわえられてしまいます。プレートの中でこのひずみに耐えられなくなると、ある面にそってずれが起こり、これが地面を揺らして地震となります。このような地震を直下型地震といいます(内陸型、内陸直下型などともいいます)。
一般的には、プレート境界型よりも規模は小さいのですが、地表のごく近くで地震が起こると揺れが大きくなり、大きな被害をもたらします。また、この時にずれた面のことを、断層(または断層面)と呼びます。

 1995年に起こり大被害となった淡路・阪神大震災(兵庫県南部地震)は、この断層がずれたことによる直下型の地震でした。

 このように、日本列島はプレートが重なり合ったその上に位置するため、いつどこで地震が起こっても不思議ではありません。そして、ときおり大規模な地震が発生します。わたしたちは、常に地震に対して備えていなければならないのです。


●地震と震災 その2:日本史上最大の地震災害の関東大震災

 9月1日は防災の日でした。76年前のこの日、関東地方は関東大震災にみまわれたのでした。

 1923年(大正11年)9月1日午前11時58分、関東に地震が起こりました。関東地震(関東大地震)と呼ばれるこの地震の震源は神奈川県の相模湾でした。深さは約30kmと推定され、フィリピン海プレートが、北米プレートやユーラシアプレートの下に潜り込んでいる場所でした。実際に地殻が破壊された範囲はさらに広く、房総半島から神奈川県南部におよんだと考えられています。

 地震の規模を表すマグニチュードはM7.8〜7.9で、1995年に起きた兵庫県南部地震(淡路・阪神大震災)のM7.2を超える規模でした。また地震の揺れの大きさを表す震度は、関東南部と山梨県、伊豆半島など広範囲で震度6(烈震)でした。当時は震度は6までしか決められてませんでしたが、震源に近い地域では、現在の震度7(激震)クラスだったのではないかとも言われています。

 そしてこの大規模な地震は、東京・神奈川を中心に大きな被害をもたらしました。まず第一の地震被害は大きな揺れによる被害で、家屋の全壊・半壊を合わせると約25万棟におよびました。
 さらに地震のあとには海岸を津波がおそいました。この津波は高いところで10m以上にもなり、熱海では約12mもの津波が地震発生約5分後におそいました。
 また地震の発生時刻が11時58分と昼食時だったため、食事の準備で火を使っていた家庭が多く、大火災が発生しました。焼失家屋は44万棟にもおよび、東京の約7割、横浜の約6割の家屋が焼失したそうです。

 これらの大きな災害により、死者・行方不明者はなんと約14万3千人にのぼりました。この日本史上最大の地震災害が、関東大震災なのです。

 またこの震災の混乱のなか、中国人数百名、朝鮮人数千名が無差別に虐殺を受けるという事件も起こりました。これは、「朝鮮人がテロを起こす」というデマが流れて起こったとされてますが、このデマ自体を軍部が意図的に流したという説もあります。
 いずれにしても、1910年に朝鮮を植民地支配した日本政府は、大震災の混乱をも利用するかたちで、軍国主義を強めていったようです。そんな時代が、たしかに日本にあったのです。


●地震と震災 その3:震災の過去と未来

 今週は、9月1日の防災の日にちなんで、地震をテーマに紹介してきました。今日は、関東大震災以外の 過去の震災についてです。

 図表は、明治以降の大震災(1950年以降は死者20名以上の地震)をまとめたものです。

 直下型地震では、濃尾地震が最大規模でした。直下型でありながらM(マグニチュード)8.0を記録したこの地震では、最大で高さ6m(横ずれは8m)の根尾谷断層ができ、岐阜県を中心に家屋の倒壊などで大きな被害がでました。
 ついで被害が大きかったのは、記憶に新しい兵庫県南部地震(淡路・阪神大震災)で、死者数は6000名をこえました。このとき淡路島には野島断層が生じ、地面が最大約2mずれました。
 直下型はこのほかに、中部〜近畿〜中国地方を中心に大きな被害をもたらす地震が起こっています。震源が近いので、規模のわりには被害が大きいのが特徴です。

 プレート境界型では、まず太平洋プレートのしずみこむ、東北・北海道沖の地震がめだちます。この地域の地震は、地震のゆれだけでなく、津波がおしよせることで、被害がおきるのが特徴です。三陸地震津波(明治・昭和)では、津波の高さは最大20m〜30mにもおよびました。

 フィリピン海プレートのしずみこむ部分でも、ときおり大地震が起こります。東南海地震南海地震では、東海・近畿地方に大きな被害が出ました。関東地震(関東大震災)も、このプレートの境界面で起こった地震です。また、「近い未来に起こるのでは…」と問題にされている東海地震も、このタイプの地震です。

 日本海側でも、新潟地震日本海中部地震などの大きな地震が起きてます。最近の研究では、北米プレートとユーラシアプレートの境界面が日本海にあり、この境界面で起こっているのではないかと考えられてます。北海道南西沖地震地震では、北海道の奥尻島で大きな被害となりました。

 なお、九州より西側では、近年 大規模な地震が少ないため、上の図にはのせていません。しかし、奄美大島付近の地震(1995年、喜界島で震度5を記録)や、津波をともなった日向灘の地震(1961、68年)など、けっしてないわけではありません。

 このように日本では、技術が進歩した近年でも、数年に一度は死者がでるような地震災害にみまわれています。残念ながら今の段階では、地震予知はむずかしく、いつ地震が起こるかわかりませんし、不幸にも被害にあってしまうかもしれません。私たちは地震に対して、つねに注意しなければいけないのです。
 防災の日をきっかけにして、ラジオや懐中電灯・非常食を用意したり、倒れやすい家具を固定したり、もう一度あなたの身の回りをチェックしましょう。

(中学生対象web原稿より怪鳥)


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