●「文化の日」は何の日?(01.11.3)

 今日11月3日は文化の日ですね。文化の日とは、自由と平和を愛し、文化をすすめる日として、昭和23(1948)年7月20日に「国民の祝日に関する法律(祝日法)」で決められました。
 では、なぜこの日が文化の日になったのでしょうか。

 文化の日は、日本国憲法と関係があります。えっ、憲法記念日は5月3日だって? たしかに憲法記念日は、日本国憲法が昭和22(1947)年の5月3日に施行されたことを記念して、昭和23(1948)年に決められました。「施行」とは、 法令の効力を現実に発生させることです。さて、法律にはもう一つ大切な日があります。それは、「公布」です。公布とは、文字どおり広く告げ知らせることで、成文法(一般的な制定法)は公布した後に施行することが決められています。(成文法でないものは「不文法」といい、文書によって制定されることなく成立した法や規律をさす。慣習法や判例法など)。日本国憲法の場合、公布してから施行まで半年の準備期間をおきました。つまり、公布されたのは、前年の11月3日だったのです。
 日本国憲法は、国民主権・戦争放棄・基本的人権の尊重を基本理念とする、世界に類を見ない平和憲法です。このすばらしい憲法が平和と文化を重視していることから、公布された11月3日を文化の日とし、施行した5月3日を憲法記念日としました。

 ところで、この11月3日にはもうひとつの意味があります。この日は、天皇誕生日なのです。天皇誕生日は12月23日だって? たしかに、現在の天皇の誕生日は12月23日ですね。11月3日は、明治天皇の誕生日だったのです。
 将軍を中心とした幕府政権(江戸時代)から天皇を中心とした新政府(明治時代)になったとき、天皇誕生日を天長節という祝日にしました。
 しかし、明治天皇が亡くなり次の天皇(大正天皇)の代になると、当然天長節(天皇誕生日の祝日)も変わってしまいます(ちなみに大正天皇の誕生日は8月31日。彼の天長節は10月31日に行われた。ただし、大正元年・2年は8月31日に行った)。
 ところが、国民は長らく11月3日の天長節になれてしまったことや、明治天皇が国民に大きな影響を与えていたことから、この日を明治天皇をしのぶ祝日「明治節」にしたいという声がありました。大正14年、議会で提案され審議が行われましたが、大正天皇の病気が悪化・死亡したため審議が一時中断し、結局明治節は昭和2年3月3日に制定されました。
 そして、第二次世界大戦終了によって国民主権の新しい憲法が発布されると、最初に紹介したように11月3日の「明治節」は「文化の日」として新しく生まれ変わったのです。

 これからも、国民主権の平和憲法と文化を大切にしたいですね。

(中学生対象web原稿よりリトル)


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