●'96サイトウ・キネン・フェスティバル松本のおはなし(96.9.2)

 8月31日、9月1日の日記にも書きましたが、松本では『'96 サイトウ・キネン・フェスティバル松本』が開催されました。
 今年で5年目になるこのフェスティバルは、小澤征爾氏を中心に、その恩師であり日本の西洋音楽育成に貢献した、故・斎藤秀雄先生を記念してつくられた「サイトウ・キネン・オーケストラ」の音楽祭です。

 桐朋学園の創設に関わった斎藤秀雄先生は、日本の子供に西洋音楽(クラシック)を学ばせる必要性を唱え、熱心に教授しました。指揮科の初代三人生徒のひとりが小澤征爾氏であり、もうひとりが山本直純氏でした(もうひとりは女性)。

 ある夏の奥志賀合宿のこと、斎藤先生と生徒はいつものように練習をしていました。体調のすぐれない先生は、無理をしながらも生徒のためにと指揮棒を振ります。登山客や別荘客はその近くを通りかかると、一糸乱れぬ演奏につい聞き入り足を止めます。青白い顔の斎藤先生の弱々しい指揮と、一心に指揮棒を見つめる生徒たち。両方の目からなぜか涙が流れていたのです。奥志賀に響く澄み渡った演奏と、息を殺したようにひたすらな先生と生徒。やがて通りかかった客も、涙を流していました。
 これが、斎藤先生の最期の指揮だったのです。

 その斎藤先生の没後10年、すでに世界で活躍する演奏家に成長したメンバーたちは、この機会に集まり記念公演をおこないました。そのときだけのオーケストラは「サイトウ・キネン・オーケストラ」と名付けられました。
 普段は交響楽団や音楽学校・ソリストとしてトップで活躍する演奏家で編成された、この世界的に類を見ないオーケストラは、もちろん実力も大きな評価を得ました。  特に海外での認知度は高く”奇跡のオーケストラ”として、絶賛を博しました。

 1992年、本拠地を松本に定めて「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」がスタートしました。念願のオペラも公演され、大成功をおさめました。
 なお、スタートにあたる92年のオーケストラ演奏では、武満徹氏が作曲したレモニアルがオープニングを飾りました。
 しかし、その武満氏も今年2月永眠されました。一抹の寂しさが漂う今年の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」でした。



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