桐朋学園の創設に関わった斎藤秀雄先生は、日本の子供に西洋音楽(クラシック)を学ばせる必要性を唱え、熱心に教授しました。指揮科の初代三人生徒のひとりが小澤征爾氏であり、もうひとりが山本直純氏でした(もうひとりは女性)。
ある夏の奥志賀合宿のこと、斎藤先生と生徒はいつものように練習をしていました。体調のすぐれない先生は、無理をしながらも生徒のためにと指揮棒を振ります。登山客や別荘客はその近くを通りかかると、一糸乱れぬ演奏につい聞き入り足を止めます。青白い顔の斎藤先生の弱々しい指揮と、一心に指揮棒を見つめる生徒たち。両方の目からなぜか涙が流れていたのです。奥志賀に響く澄み渡った演奏と、息を殺したようにひたすらな先生と生徒。やがて通りかかった客も、涙を流していました。
これが、斎藤先生の最期の指揮だったのです。
その斎藤先生の没後10年、すでに世界で活躍する演奏家に成長したメンバーたちは、この機会に集まり記念公演をおこないました。そのときだけのオーケストラは「サイトウ・キネン・オーケストラ」と名付けられました。
普段は交響楽団や音楽学校・ソリストとしてトップで活躍する演奏家で編成された、この世界的に類を見ないオーケストラは、もちろん実力も大きな評価を得ました。
特に海外での認知度は高く”奇跡のオーケストラ”として、絶賛を博しました。
1992年、本拠地を松本に定めて「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」がスタートしました。念願のオペラも公演され、大成功をおさめました。
なお、スタートにあたる92年のオーケストラ演奏では、武満徹氏が作曲したレモニアルがオープニングを飾りました。
しかし、その武満氏も今年2月永眠されました。一抹の寂しさが漂う今年の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」でした。