(妹より)
6時半、いつものように妹が母を起こしに行く。ベッドに腰かけた状態で仰向けになっていて、声をかけても反応がない。
すぐに119番で救急車を呼ぶ。その間にも、電話で心肺蘇生の指示があり、妹が心臓マッサージをする。
まもなく、小さな消防車が家の前の狭い急坂を上ってくる。近所の人たちが出ていたので呼んでもらうよう伝え、妹は心臓マッサージを続ける。
救急隊が家に入り、彼らの心臓マッサージや機器による心肺蘇生が始まる。担架に移動しながら、作業は続く。
大通りに止めてあった大型の救急車に移送され、諏訪日赤病院へ急行。
救急で対応。妹は連絡すべき所があれば電話するよう言われ、一番目の姉と諏訪地方に住む母の姉に連絡。
母の姉妹二人が病院に到着。結局、蘇生せず。
7時12分、医師による死亡確認。

諸手続などの後、妹は医師から連絡がいった警察に対応(事件性がないことを確認するため)。
警察の担当者と家に移動し、状況説明などする。

(ここから私の行動)
10時すぎ、一区切りついた妹が私に電話。
私が一番目の姉に電話すると、ちょうど病院に着いたところだという。姉は今朝の妹からの電話により、出社支度のまま諏訪に移動した。
私から二番目の姉に母が亡くなったことを電話&メール。仕事途中で連絡とれず。
怪鳥さんに義母が亡くなったことを伝え、自分は急いで身支度をする。

12時、気持ちが動転してなかなか支度が進まない。
義母が用意してくれた昼食を食べる。

1時前、車に荷物などを積み、中央道で諏訪へ出発。
途中で2番目の姉と連絡をとる。
諏訪に近づいたところで、実家に電話をしてお互いの行動を確認。

3時過ぎ、諏訪に到着。
妹に頼まれた物を買ったりして、急いで家に行く。
妹と姉は菩提寺に打ち合わせへ行っていた。私一人で母と対面をする。
いつものように寝ているだけみたい……。しばらく、亡き母と会話をする。
ペコ(犬)といっしょに母の前で、二人の帰りを待つ。

5時、妹と姉が帰宅。
まもなく、葬儀社の担当者が来てこれからのことを打ち合わせる。

6時、菩提寺の住職が枕経をあげにきてくれた。
8時近く、業者が打ち合わせを終え帰る。
9時、朝から来ていた一番上の姉がいったん川崎へ戻る。
電話で親戚に、明日の予定などを連絡する。
10時、二番目の姉一家が横浜から到着。
妹と二人で明日の準備や、遺影用の写真を探す。

夜、母のそばで妹と話をする。
ここ数日の母の様子を教えてもらったり、昨夜の話をいろいろ聞く。
未明になり、私は二階で寝て、妹は母のそばに布団をひき横になる。