朝6時前に起きて、シャワーを浴び、身支度を整える。
 7時、来客が来始める。府中の両親も到着。
 8時、出棺の準備。最後のお別れをすると、みんなで少しずつくぎを打って棺にフタをする。すると、やはり昨晩のようにロッキーがキューキューと鳴きだした。それまでどんなに来客が来てもおとなしくしていたのに。きっとロッキーにもわかるんだね。最後に家族がひと角ずつくぎを打って、本当にふたがされた。
 男性たちが棺をかかえて外へ運び出す。家の前には近所の方々がお見送りに集まってくれた。喪主の母のかわりに、義兄があいさつをする。
 8時半、霊柩車に父の棺がおさまり、家の前を出る。私はひと足先に出て坂下にとめたバスへ向かう。通りの各所にお見送りの人が出ていてくれて、多くの人に惜しんでもらえてありがたかった。バスが出る直前、怪鳥さんが「昨晩から思い出せなかった棺に入れたいものがわかった。清水だ」ということで、急遽もっていたフィルムケースを業者の担当さんに渡して清水をくんでもらった。時間が押していたが、父の馴染みの清水がくめて良かった。
 9時、20分ほどかけて火葬場に到着。これで父とも、本当に最後のお別れ。棺の上にさっきくんだ清水を置いて、いっしょに焼いてもらう。
 9時半、親族に軽食をとってもらう。ビールが足りなくなりそうだというので、姉と自宅まで残っているビールを取りに往復。
 10時、もどってから府中の両親と話をしながら、時を過ごす。
 10時半、父のお骨が運ばれる。みなで少しずつお骨を拾い、壺に納める。何度もさすってあげた脚の骨は、とても大きくてしっかりしていた。最後に父が使っていたメガネをいっしょに入れてフタをする。
 11時 母が位牌をもち、妹がお骨をもち、姉が遺影を持って、バスに乗る。来たときとちがう道を通ってお寺へ行く。
 11時半、葬儀が始まる。地蔵寺は私が保育園に通ったなつかしい場所。祖母の葬儀の時もここにお世話になった寺で、庭が美しい。地蔵寺の葬儀は、棺前式(かんぜんしき)というしきたりでおこなわれる。お経のあと、隣組の人が読んでくれた弔辞が、ありし日の父の姿を語ってくれて、元気だったころの父を思い出す。ひきつづき、初七日の法要。
 12時半、告別式。母と姉妹で並んで、お焼香に来てくれた人に挨拶をする。
 1時、精進落とし。親族と隣組の人々に食事をふるまう。
 2時、納骨にお墓へ行く。お坊さんがお経を読んでくれて、お墓に骨壺を納める。父の隣に、祖母の骨壺が見えた。おばあちゃんに再会して、安心しているかな。
 3時、自宅にもどる。母方の親戚は家が近いのでそのまま帰り、父方の親戚は家によって着替えなど。まもなく帰る。家族も服を着替えて、お茶を飲んで一息つく。
 4時、府中の両親は、怪鳥さんが諏訪を案内して回る。その間に、家族は片づけを始める。公民館から借りた長座卓を返すために、姪たちと公民館まで運ぶ。祭壇の整理、食堂の片づけなど。姪が洗濯機の使い方を間違えて、脱衣所を水浸しにしてしまう。その片づけをした妹がぎっくり腰になってしまった。腰痛の癖があったし、疲れがたまっていたのかもね。お大事に。
 6時、府中の両親がもどる。
 6時半、みんなでうなぎ屋へ食事に行く。ぎっくり腰の妹は、家で寝ていた。病院の近くにあるこのうばぎ屋はおいしいと評判の店。入院中の父も「精をつけるためにウナギでも食うか」と言ったとき、私が買ってもっていったことがある。みんなで父の話などしながら、お疲れさまのお食事会。気に入ったウナギしか食べない姪も「ここはおいしい!」と喜んで食べた。
 8時、食事を終えて帰宅。府中の両親は、ここから帰った。
 9時、お風呂に入ったり、荷物を整理したり。
 12時、明日、病院へお礼に行くために主治医、看護士たちへ手紙を書く。入院中のことなど思い出すとなかなか進まない。
 3時過ぎ、ケースワーカーへの手紙の途中でどうしても眠くなり、力つきるように寝る。
 長い長い一日が終わる。