バンター空港でのトランジット待ちの間、サーリセルカへ行くという女性と知り合いました。彼女はたった一人で、思い立ったようにオーロラ旅行に来たとのこと。童話作家志望の彼女はなかなかユニークな人で、3日後にサーリセルカで再会するのが楽しみです。
ロバニエミはフィンランド北極圏最大の都市とのこと。といっても諏訪より小さいけどね(^^) ホテルの窓からは世界最北(!?)のマクドナルドと、向かいのビルの看板表示「-11度」が点灯。(リトル)
フィンランドでの本格的な観光1日目。基本ツアーではロバニエミ1泊ですが、それではサンタクロース村に行ってあとは移動時間にとられてしまいこの町の様子が分からないので、あえてもう1泊延泊しました。
アルクティウムのオーロラフィルムがとてもよくできていて、安易なプラネタリムのオーロラ番組なんかよりわかりやすいように思いました。オーロラの動き方(成長)が一晩のうちにもだんだん変化し、いろいろなタイプの出現の仕方をすることがよくわかります。オーロラの科学的なことよりも、その現れ方についてうまくまとまっていました。
サンタクロース村は広い敷地じゃないのでそれほど期待していなかったのですが、北極圏上にあることや、サンタクロースがとってもゆかいな人だったのでずいぶん楽しみました。また、郵便局や切手に関心のあるリトルは、サンタ郵便局も気に入りました。ここから知人や家族にハガキを出すと、クリスマスデザインの切手にオーロラが描かれていてステキでした。
夕方になったのでバスで街まで戻りましたが、午後3時にはすっかり暗くなり窓の外は真っ暗。空は一面の曇りで、かすかに遠くの地平線が緑に輝き「あれはオーロラ?」と怪鳥さんと話しました。結局「地上の灯りが反射してるかな?」ということであきらめましたが、本当はどうだったのかな?
駅から徒歩で正教協会へ行きました。この町は大戦中にドイツ軍に街を焼き払われたという歴史を持っていて、そのときの被害者を葬った墓地や慰霊碑がありました。その隣に作られていた雪の協会は、とてもロマンティックでした。
ホテルへ歩いて帰る途中、賑やかな子どもの声が聞こえたのでのぞいてみると、アイスホッケー場で小学生の女の子が3人で回転式のソリで遊んでいました。そっと遠くからビデオに撮ろうかと思っていたらすっかりばれてしまったので、こちらから近づいてソリを押して一緒に遊びました。そのまま立ち去ろうとしたら今度は女の子達がはにかみながらやってきて英語で話しかけてくれたので、しばらくお話をしました。といってもお互いに簡単な会話しかできなかったのですが、とても楽しい思い出になりました。フィンランドでは小学生から英語教育があるそうです。
夜はそのまま曇っていて、未明に外へ出てみたのですが、オーロラは見えませんでした。(リトル)
2日目のサンタクロース村はすっかりなれたもので、サンタクロース関連のお土産を買ったり、昨晩ホテルで書いたハガキをポストに投函したり。今回の旅行は長いから、エアメールの方が本人たちより早く日本に着くでしょうね。北極圏証明書をもらい、トナカイ料理を食べてと楽しんでいたら、どうやら「二人はサンタクロース村ファンだ!」とスタッフ達の間ですっかり有名になってしまったらしい(^^;
午後2時から、いよいよオーロラの見えるサーリセルカに移動。途中で居眠りをしていたら、あたりはすっかり暗くなっていてビックリ。そうだよね、どんどん北極圏を北上して太陽が低い所へ来たんだから。途中ガソリンスタンドでの休憩をはさんで、やっとサーリセルカに到着。町へ入る案内板が見えてきたら2年前を思い出してドキドキしていた。まもなく見慣れたスーパーマーケットやピザ屋が見えると「まさかもう一度ここへ来るとは思わなかったなぁ…」としみじみとしました。
現地日本人ガイドから案内を受け、ホテルの部屋で一休みしてからオーロラ小屋(コタ)へ。曇っていたので今日は期待せずに様子を見る程度に。それでも雲間から木星・北斗七星・北極星が見たので、星一つ見えなかった2年前より前進!と安心しました。「うーん、北極星が高すぎてどっちが北かわかりにくいくらいだー」と自分が北極圏にいることを実感。今日は晴れないな、とあきらめてホテルへ戻りシャワーも浴びて寝ようと思ったそのとき、怪鳥さんがふとのぞいたベランダから満天の星空が! ビックリして急いで支度をしてもう一度コタへ行きました。2、3人ほどの人がいていろいろおしゃべりしながらオーロラを待ちましたが、気配もないし時間も悪いので今晩はお開き。明日に期待しましょう。 (リトル)
●オーロラ速報(写真+ビデオ:現地にてデジカメ取り込み)
●写真報告1枚(帰国後スキャナ取り込み)
10時に朝食を食べ終わり、ゆっくりと支度してから町の散策に。2年前と変わらない店や変わってしまった店や。12時近くに太陽が南の空低く顔を出しました。林の間からさしこむ弱々しい木漏れ日がいとおしいほどです。途中ですれちがった人から「この太陽がこの場所で今年初めてのものだ」と聞き、よけいに愛おしくなります。ある意味この場所の“初日の出”なんですね、今回の旅に期待が高まります。
私たちの泊まったリエコンリンナホテルはロビーに無料インターネットがあり、24時間利用できます。夕方6時頃そこを通ったら、16日にヘルシンキの空港で出会った女性と再会しました。さらに昨晩コタで会った関西の男性が「もううっすらオーロラが出ているよ!」と飛びこんできました。これは本格的な観測になると思い、私たちは早めに夕食を食べ、カメラなどの機材を準備万端に整え、いざコタへ。8時少し前でしたがもうホテルを出たところから街灯に負けないくらい、緑色のオーロラのが延びていました。初めてのフィンランドのオーロラ!もう大感激でした。それが東からどんどんやってきて次々に頭の上を通って西の空まで移動していくのです。怪鳥さんは写真を撮ったりビデオを回したり、私はオーロラの様子を口に出しながら感想を話したり。(詳細は「リトルと怪鳥のオーロラ報告」参照)
9時ころから曇りだしたので、休憩も兼ねてコタの中へ。ところがずっと曇ったままだったので、やってきた日本人としばらくおしゃべりなど。一人の女性は夕方ロビーで会った男性の妹さんでした、もう一人は看護婦さんの女性でした。4人でかわりばんこに外へ出てはオーロラの監視をしたり、コタの薪ストーブを燃やしたり。やがて11時ころ妹さんが雲の切れ間にかすかなオーロラを発見! しばらく見ているとどんどん雲が切れて、広く見晴らしのいい場所へ出るとなんと南の空が赤くオーロラに包まれているではないですか! 「あー、薄雲がなければもっときれいなのに」「南に下がりすぎてて、ここでは見えにくいな」と思っていると、次第に濃いオーロラが私たちのすぐ近くまでやってきました。12時前にはオーロラがどんどんうごめいて、怪鳥さんと「ブレイクアップする!」と予感すると、本当に天頂で激しく出現しました。全天がオーロラに包まれているなか、明るくて激しいオーロラが、次々に頭上でコロナ状に広がります。4人で大感激しました。ちょっとひと息ついたころ、今度は西から東へΩ(オメガ)型をした白っぽいオーロラがやってきます。アルクティウムで見たオーロラフィルムの順番とまったく同じです。2000年にカナダで見たブレイクアップとはパターンが違いました。このころになると女性2人もすっかりオーロラの動きがわかるようになり、次にどのオーロラに注目するといいか、どんな風にやってきそうなのかわかるようになっていました。
その後は雲が厚くなり、オーロラの気配もなくなったので、コタに戻りました。まもなく、オーロラハンティングツアーに出かけていた女性や、オーロラ撮影サファリに出かけていた男性たちが帰ってきて、みんなでおしゃべりして過ごしました。夕方にオーロラのことを話した男性は、もう5年もオーロラを見に出かけていて、彼はサーリセルカのこともオーロラのこともずいぶん詳しい。童話作家志望の女性は彼のことをく“オーロラ奉行”と命名。たしかに(笑)。ちなみにオーロラ奉行の“お兄さん”(本人の希望による(^^;)は、コタの薪をつけるためにライターを借りて以来、彼女のことを“ライターの姉ちゃん”と呼びます。ほかにも、阪神電車の運転手&車掌の男性2人など、なかなか個性的な人が多くて楽しいです。ちなみに我々は、童話作家のライター姉さんから「天文夫婦」と命名されました(^^; (リトル)
サーリセルカのあるラップランドは、急な山がなくてなだらかな丘が続きます。フィンランドで冬のホリデイを楽しむヨーロッパ人は、子どももお年寄りもみんなクロスカントリーを楽しんでいました。ということで、私たちも挑戦してみました(前回は吹雪でスキーどころじゃなかったしね)。道具一式を借りてインストラクターの女性に教わりながら、数人でついていきます。最初はぎこちなかったけど、慣れてくると徐々に速く滑れるようになってきました。だんだん汗ばみ、天気もいいので周りの風景も楽しみました。インストラクターがスキーだけでなく、ラップランドの自然についても教えてくれて、途中にはリスも見られて楽しかった。怪鳥さんはスキー板との相性が悪かったみたいで苦労していました。
疲れてホテルへもどり一休みしてから、昨日撮影したオーロラを村の写真屋に出してみました。ショッピングセンターの軽食コーナーで昼食をとり、店内をみてまわったあとホテルへ戻る。午前中のスキーがよほどこたえたのか、午後は部屋でのんびり〜。ときおりロビーのパソコンでインターネットをしたり。夕方、出来上がった写真を受け取りに行ったら、けっこうきれいに映っていて満足、満足。
夜も眠くて空もイマイチだったのでうつらうつらしていると、9時半ころ「なんか出てるよー」という怪鳥さんの声。急いで身支度をしてコタへ行くと、すでにみんなおそろい。オーロラは中くらいの規模のものが出続けていたので、自分たちを入れ込んで記念撮影など撮ってみました。けっこういい感じにとれて、こちらも満足。そのままオーロラも落ち着いていたのでソリ場を山頂に向かって登ってみました。ある程度いくと教会の明かりがジャマにならなずに撮影できるポイントがあると聞いたので散策してみたがイマイチ。「いい運動をした〜」とコタへ戻る。夜半過ぎからふたたびオーロラが広がってきてきたが、そのままブレイクアップすることもなくずーと薄く出続けていた。激しくなることを期待してみんなで待っていたが、変化しないので3時で切り上げました。
この日から札幌の夫婦がコタ仲間に加わり、さらににぎやかになりました。(リトル)
前回(2000年3月1日)はトナカイそりに乗ったので、今回は犬ぞりに乗ろ〜と出かけました。7頭の犬たちがソリを引き、私と怪鳥さんで乗り手と運転手を交代で行います。林の中を駆けるときはちょっとしたアップダウンやカーブがあって、運転手はソリがひっくり返らないようにバランス移動をします。野原を駆けているときは地平線を低い太陽が移動していき、ぐるりとピンクに染まる空がとても美しかった! もちろん犬たちは人なつこくてかわいいヤツだった。
昼に村へ戻ると、コタ仲間の男性2人(阪神電車の運転手&車掌)と出会った。彼らは午前中穴釣りに出かけたそうだが、まったく釣れずさらに気温も低くて疲れきっていた。それもそのはず、この日は昼でも−20度という極寒日。昨夜の写真を出すためにホテルとショッピングセンターを往復してる間にも、現地の人から「今日は寒いねー」と言われるほどでした。こんな日はスキー場が閉鎖になるそうです。それは寒すぎて危険だから…納得(^^; 同じホテルに泊まっているコタ仲間の女性(童話作家のライター姉さん)が明日帰国するのでオーロラの写真を見ながらいっしょに夕食をたべました。彼女とは初日にヘルシンキのバンパー空港で出会ってから、本当に長い間親しくさせてもらい楽しかった。
夜はあまりオーロラの気配がなかったが、昨日のこともあるので早めにコタへ移動。いつも最初にコタに来るオーロラ奉行が、今夜は別の村のイグルーホテルに移動したので私たちが一番目でした。そのうちに札幌の夫婦がやってきていっしょに薪ストーブに火をつけたり明かりを灯したりしました。キャンドルが足りなかったのでホテルでもらうために外へ出るとなんとオーロラが出現! しかも、どんどん大きくなってなんと天頂でコロナ状になってブレイクアップするではないですか。あまりの速さにカメラをとりにコタへ戻ることもできないほどで、「これは見るしかない!」と4人でパニックになりながら眺めていました。21時55分から22時10分ころまでというアッという間のことでした。その後はモヤモヤとした薄いオーロラが広がっているだけで、気温も低いのでコタへ避難。この日の異常な寒さは、カメラも凍り付いて動かなくなるほどでした。夜半にライター姉さんがやってきました。彼女は最終夜だったのでオーロラハンティングツアーに出かけ、その先でさきほどのブレイクアップを見たそうです。彼女は今回のツアーでたくさんのオーロラを見てとても満足し、早々にホテルで戻りました。深夜2時過ぎに阪神電車の二人組がやってきました。彼らはなんと、昼の穴釣りで疲れて温泉に入った後、今までずっと寝ていたとのこと。彼らも最終夜だというのに、先ほどのブレイクアップも見ずになんともったいない。札幌夫婦とオーロラの様子をはなすと彼らはとても残念がって、「どうしてもオーロラ見る」とねばりだしました。結局、4時ころにモヤモヤとした薄いものが現れ、写真を撮ると彼らも満足して本日は終了。ホテルへ戻ると部屋ノブに、ライター姉さんから差し入れのカップ麺がかけてありました。ありがとう。(リトル)
今日はコタ仲間の何人かが帰国する日で、午前中にバスが来るからお見送りしようかナーと思っていたのですが、さすがに疲れがたまって起きられなかった。正午にようやく起きて昼食を食べようと外に出ると、ちょうど頭上を飛行機が飛んでいきました。「あー、あれにみんなが乗ってるんだな〜」と思って手を振ると、私たちだけ取り残されたようでちょっと寂しい気持ちになりました。昼食のあと二人でソリ遊びに出かけました。前回もやったんだけど、いい大人がこんなにソリではしゃげるのもフィンランドならでは!? さらさらパウダースノーが気持ちよくてほかに誰もいなくて、汗をかくまで遊んじゃった。ソリ場の近くにコタがあり昼間の風景を撮影。前回の大雪ではコタが埋まっている写真だったんだよなー。
夜はオーロラハンティングツアーに参加しました。雲をさけてるように北上し、途中でオーロラが現れると車を止めて観測。さらに北上し、結局イナリ湖へやってきました。この湖は昔から多くのサーメ人が住んでいて個人的にとても来たかった場所なのでラッキー! しかしもなんと車は湖の上、つまり氷上を走って見通しのいいところまで来たのです。見たかったイナリ湖の“上”にいるなんて最高。しばらくここでオーロラの出現を待つと、かすかですが現れてくれました。本当にうれしいなー。24時にはホテルへ戻るツアーなので時間になったらおしまい。サーリセルカはまだ曇ったままだったので、ホテルに設置されたオーロラルームを見学しました。黒い幕で覆われた部屋からガラズ越しにオーロラを見られるという場所で、明るいものが現れれば暖かいホテルにいながらに観測できそう。部屋の壁にはオーロラ写真が展示してありましたが、緑色のものが多かった。やがてオーロラの気配がしたたのでコタへ移動。札幌夫婦さんとおしゃべりなどしたが、見慣れた面々が帰国してしまいちょっと寂しい感じでした。3時過ぎにカーテン場のオーロラが現れたので満足して帰宿。(リトル)
リトルがラップランドで強く感心をよせたのが、この土地のネイチャーであるサーメ人の文化や歴史です。前回はサーメ博物館「シーダ」に行ったので、今回はぜひサーメ人宅訪問をしたいと思いオプショナルツアーに申し込んでいました。ところがなかなか人数が集まらず(ふだんはかなり人気の高いツアー)無理かな……と心配していたところにやっとOKの連絡。サーリセルカの近くに住んでいるサーメ人一家のところへいき、まず庭でトナカイとふれあう。やがて小屋に入りサーメ人のご主人からサーメ語で生活や文化について話を聞く。当然、わたしたちはまったくサーメ語がわからないので、奥さんのフィンランド人が英語に訳してくれる。さらに不明点は現地ツアーガイドが日本語に。でもサーメ人のご主人の表情や仕草を見ていると、その気持ちが自然に伝わってくるような気がしました。彼の話はとても興味深く、こういったネイチャーの人々が自分たちの文化を継承しつつ安定して暮らしていけるといいなと思いました(それはサーメに限らず、“自分たちの文化を侵されたくない”と思っているあらゆる民族にとって)。カラフルな民族衣装を私たちに着せてくれたり、独特な歌声のヨークを聴かせてくれたり、サーメの文化に少しでもふれることができてうれしかった。さらにテント状のコタへ移動し、たき火を囲みながら手作りケーキやあたたかいベリージュースをいただいた。これで本当にサーリセルカで思い残すことはなくなったぞ。
夜空はやや曇りがちでサーリセルカ最終夜でもあるので、ちょっとあらたまって村のレストランまで出かけました。ところが突然、雲の晴れ間にオーロラが現れたのです。「きれいだなー」と見ていたらどんどん動きが激しくなって、とうとうカーテン状に舞いだしたのです。規模こそ中くらいでしたが、動きの速さや色の変化がとてもみごとでした。軽装でふるえながら立ち止まって見とれていると、かすかにピンクに色づき現れては消えていきました。こんな日は一定のタイミングで何度かオーロラが出現するので期待ができるぞ、と急いで食事をして22時くらいにコタへ移動。今夜も札幌のご夫婦といっしょにオーロラを待ちました。実は彼らも1年前にここへきて、悪天のためオーロラが見られなかったと言うのです。そんなわけで私たち4人は「今年はぬかりなく観測するぞ!」と気合いが入っていたのでした。まもなく緑色のオーロラが現れて、やがて激しく動いて去っていきました。夜半過ぎ、新顔のおじさん3人組がやってきました。彼らは3泊5日の最短ツアーでサーリセルカに着いたばかり。さきほどのオーロラを、ちょうどバスから降りたホテルの前で目撃したそうです。もっと見たかったが施設説明などのために室内に入らなくてはいけなかったとのこと。「これから今夜、またオーロラが現れるだろうか」と、期待半分、心配半々という顔をしていました。しかし、その後は雪が降り出したため3時過ぎで観測を終了しました。今回のサーリセルカでは6夜中5夜オーロラを見られて、さらにカナダで目撃できなかったΩ型など、いろいろなタイプのオーロラを観測できて大満足です。札幌の夫婦はあと2夜ここにいます。つまりおじさん3人といっしょですね。今回は、夜間晴れている日が多かったのでコタに行ってたくさんの人と出会い、いっしょにオーロラを楽しめました。それもまた良い思い出です。(リトル)